才能がない人はオワリ⁉︎

どうもみなさんこんにちは、宇田川クルトです。

 ※短いです、そしてあまりマトマっていません。でも結論は出しました!

 

今日は"努力できることは才能なのか"ということを自分なりに考えていきます。

 

☆努力できることは才能なのか☆

結論から言います。努力できることは才能ではないです。

じゃあ何で成功してきた人たちは努力できたの?ってみなさんは思われますか?

 

!それはズバリ!

 

努力できるからどうかは意志の問題なのです。意志の問題までも才能と言ってしまいますか?それでは全部が全部才能という事になってしまいます。自分がやろうと思ったこと全ては才能があったから出来たことなのでしょうか?水を飲もうという意志も、食べ物を食べようという意志も、コンビニ行こうという意志も、才能があるから出来ることなのでしょうか。
努力する事だけ例外ということがありますか?そんなことはあり得ないと思います。努力できる事は紛れもなく意志の問題なのです。または性格の問題です。絶対に才能ではない。

 

しかし、以前、松井秀喜氏が「努力できることは才能だ」と言ってしまったせいで何人が絶望したでしょう。凡人が才能人に勝つには惜しみない努力が要求されます。それなのに、努力出来ることまでも才能と言ってしまったら、凡人が才能人に勝つ方法はなくなってしまいます。凡人の希望の光は実は才能人にしかできないことであったということになってしまいます。
そんなことがあってよいのでしょうか。

才能人に勝つための努力。そこにあるのは「悔しさ・劣等感・憧れ」のような色々なものからくる刺激、それがその人の意識を改革し、意志を強くし、最終的に勝ち切れる努力をさせるのです。そこに才能が入り込む余地はありません。

努力できることは決して才能ではないということです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。宜しければコメントお願いします!